雑魚の真髄

自分って雑魚だなって感じたこと、ありませんか?

雑魚だわー

自己肯定感を持つとか、自分を高く評価することの重要性とかよく言われてますが、頑張ってる最中にふっと現実を見て「うわ、自分って雑魚だわー」なんて実感してしまったとか。

単なるゲーム用語としてではなく、です。

出来の良い他人と比較して不甲斐なさに呆然としてしまったり。自分の残念さにやる気を失せさせる言葉「雑魚」。

そんな風に自虐的に思うなかれ。

雑魚とは、実は素晴らしい概念だと思うのです。

では、張り切って雑魚賛歌、行きましょう!

 

自覚できた時点で、その人はすでに雑魚ではない!

弱さの自覚が群れ

雑魚というのは、己の小ささを自覚しているということ。大したことないのに、自分は大物だと勘違いしている輩より、数段上の認識能力がある状態です。

自分を客観視して、より大きな存在、次元をみれているから比較対象の自分を小さく感じ、過少評価してしまう。

自分の進歩、進化のスタート地点に立っているというだけのこと。これから目指す高みに向かう第一歩を踏み出した人。自己覚醒が始まった人。これから始まる人。

こういう人が雑魚なわけがない!

 

雑魚は素直である

素直で謙虚

次に、大いなる可能性を秘めた「素直さ」について。

雑魚と自己判断した人間は、他人の忠告や意見に素直に耳を傾けることができます。なぜなら、自分は大したことない、能力が低いと思っている分、人の意見を素直に聞き入れることができるものです。

自分に絶対の自信を持っている人、全て自分の力でやれる、能力が十分にあると思うと、人の意見を容易に受け入れようとは思わないものです。なぜなら、常に正しい選択をして、正しい結果を得てきた実績からそうする必要がないからです。

ところが雑魚は違います!

自分で判断した結果、間違った結論にたどり着き痛い目にあった、良い結果が得られなかったなどのネガティブな経験が、自分が間違っているかもしれないという恐怖と不安を増長させるのです。

自分は雑魚だから、他人の考えも聞いておこう。自分とは違う意見も受け入れて判断した方がいいかもしれない、という方向に進みやすい「捻れた素直さ」を体現してしまう。

こういう素直さや、妙な慎重さが長い目で見たとき「失敗の少ない」「敵の少ない」「安定した」ライフスタイルに繋がったりするのです。

成功への着実な歩み

自信満々な人間が、華やかに成功後、自己能力を過信しすぎてしくじるケースに比べ、謙虚な目立たない人がジワジワ成功拡大を続けていく。こういう図式よくみますよね。

まさに雑魚の真髄ではないかと思います。

自信満々な自己評価の高い人間は、もちろんそれだけで多くの天性に備わった魅力と実力があると思います。

しかしながら雑魚だなぁ、と思ってしまう人にも、負けないくらい素晴らしい利点が潜んでいるものです。

反証的に、自己認識できていない不遜な雑魚は・・・あえて言いません。

 

ちなみに、英語ではこんな感じ

風情のある言い方も

英語で「この雑魚ガァ!」的使い方だと、idiot(ばか)とかloser(負け犬)とか、fly(ちっちぇーぇ)が主流だそうです。なんか日本語の雑魚の表現とは随分ニュアンスの違いを感じます。ただ蔑む、低く見るだけのような・・。違う表現もあるのかな?wimp(弱虫)も悪口運用。

「私雑魚でして」的な取るに足らない、大したことない人間、という自己卑下の意味合いでいうとnobody,no-one。微妙ですがlow levelの英語圏運用はどうでしょ?私が知らないだけですね、失礼。

某、南アジアの国ではfaqir(乞食)という表現がありまして、これが自分を卑下して使うので、なんか日本の雑魚とニュアンス的には似ているかなぁと思います。自分は何も持っていない人間です、貧しい乞食ですという、謙遜めいた意味合いが、美しいですね。アジアを探ればもっとこういうのありそうです。

 

 

giogio

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