BTS Vのインスタで見た、レスリーチャン氏について
BTS-Vのインスタに上がっていたレスリーチャンの動画。
あっという間に削除されましたが、沢山のARMYさんによって削除後も知ることに。
そのインパクトの大きさにあちこちで考察が繰り広げられていますね。
テテへの考察はともかく、レスリーについて真偽入り混じった情報がごちゃ混ぜになっているので、
今日は、そのレスリーチャン氏について詳しく書いてみようと思います。
<注*とは言っても、香港籍(カナダ籍も持つ)の彼の母国語を理解できているわけでもなく、英語訳、中国語からの訳などに頼っている身なので、私が正解などというつもりは毛頭ありません!なんかわかったら修正しますし、そこをご理解の上、読み進めてくださいませ
m(_ _)m>
グテファンがざわついている点
テテのインスタの動画に上がっていたのは、彼の代表作の一つ、1990年の欲望の翼(邦題)という作品の1シーンです。
独特のダンススタイルのレスリーですが、それが最近非常によく見るテテのダンスと同じなので、テテは好きなんだろうし、映画も見てたということでしょう。
レスリーは時代を代表するアジアのスーパースターですし、映画好きなテテですし、ここはまぁそうなのねーって思うだけです。
ただ彼を紹介するにあたって必ず付随するのが「同性愛」というワード。
テテペンというか、グクテテファンを騒がせる大きな要因がこれです。
LAの授賞式でのMY UNIVERSEでグテでやってた意味ありげなサイン。
あのオッケーサインみたいな、目に丸を当てるやつ。
あれが、レスリーが同性のパートナーとの合図に使ってたものであるというくだりです。
ここが、グテファンを中心にめっちゃざわざわしてるポイント。
(レスリーがしていたというこのサイン、ダフィーがしている画像は見つけられませんでしたが、彼の葬儀の際にしていたそうです。)
レスリーにはさらに「うつ病」「自殺」というキーワードが付随しています。
彼が悲劇的な自死を遂げたことも、ファンが気になってしまうところ。
彼は46歳の若さで香港マンダリンオリエンタルホテルから飛び降り自殺。当時流行していたSARSで換気のために唯一開いていた、ホテルのトレーニングジムの窓から身を投げ自ら命を断ったのです。
普段なら閉まっている高層階の窓。開いているところを探して彷徨ったという電話相手の話も存在。
スーパースターの自殺というセンセーショナルな話題に飛びついたマスコミによって、さまざまな記事が書かれ、今目にしているもの全て、私にももちろん真偽の判断は難しいです。
もしかしてゴシップ記事の方に、真実があるやも?ですが、彼に一番近い人たちの言葉から、そして実際の写真(合成ではないと仮定して)の中から真実と思しきものを拾いあげて見たいと思います。
レスリー・チャンとダフィー・トン
レスリーは、スーパースターでありながら、幼馴染のダフィー・トン氏(唐鶴徳)との関係を隠しませんでした。
と言っても、書面で彼が「僕はゲイです」って正式に公表したわけでもないし、何か公の場所で彼の口から「恋人は男性です」って宣言したわけでもないのです。
彼のこの部分に関することが、中国のSNS経由で紹介されていて、他の有名ゲイカップルの話と一緒くたになって入り混じってしまっているようです。
↓↓これはレスリーとダフィーではなく、マネしてる別の中国人俳優さん。
↓↓こっちがレスリーとダフィー。
(死後にダフィーがインスタで公開したもの)
もちろん、二人が特別な関係であったことは事実のようですが、それは次のような形で知られたようです。
1)レスリーのコンサートの演目の中に、彼への気持ちを表したと思われる曲があった。
2)レスリーの死後、家族が発表した文書の中で「生涯最愛の人 ダフィー」と記した。
この2点です。次点に挙げられるのが
3)二人が手を繋いでいる写真を撮られたこと。
4)彼の死後、数年たってダフィーが公表したツーショット。
では詳しく見てみます。
1)レスリーのコンサートの演目の中に、彼への気持ちを表したと思われる曲があった。
これがカミングアウトしたと言われている有名な一件です。
ツアーライブの最終日の1997年1月4日。そのラストのアンコールの歌の歌唱時に、「お母さんと大事な友達へ(彼へ?)」と話して歌い、ダフィーをファンの前に出して「支えてくれた恩人です」と紹介したそうです。それを持ってカミングアウトと取られたらしい。
その歌のざっくりな内容はこちら(テレサテンさんの曲のカバーです)
「月亮代表我的心」(月は私の心)
あなたは私に深く愛しているか
どれほど愛しているかと
聞くけれど
私の思いは真実
私の愛も本物
月は私心
私の思いは移らない
私の愛は変わらない・・・・
どうでしょう?確かにそう言われればそうか。。でもこれでカミングアウトなのか微妙っちゃ微妙な。。歌詞の内容が内容だけにそう言われれば、そう?
(紅という歌の赤いヒールを履いたパフォーマンスだったいう話も。もうわからん( ; ; ))
2)レスリーの死後、家族が発表した葬儀文書の中で「生涯最愛の人 ダフィー」と記した。
家族公認の仲であったということを世間に発表したと言えると思います。
3)二人が手を繋いで歩いている写真をパパラッチに撮られたこと
↑↑1985年ハッピーバレーで撮られたフライデー的な写真。
この時、レスリーは撮られたと知りながらも、ダフィーの手を離さなかったとか。。
手を繋いで歩くだけで・・・時代なんでしょうか。
4)彼の死後、数年たってダフィーが公表したツーショット
幸せそうな笑顔の二人。。。
彼が大切にしていたというのがわかる写真ですね。上とは雰囲気がまるで違う。
マネージャー談から探る
彼の最も信頼している人間の一人であったマネージャー、チェン氏。
レスリーの死後、かなり経ってから彼女が語ったことで、彼の死にまつわるさまざまな憶測の一部がだいぶ晴れたように思います。
何を言っても「商売道具に使っている」とか色々言われてしまうし、個人的なことを話したくもないし、頑なに発言を拒否していた彼女。ですが、誤解を払拭できず苦しむ残された人のため、重い口を開いたのが記事になってましたので、抜粋して紹介します。
<出典元 YULE.SOHU.COM 2004-04-01 (原本中国語サイトのため、その日本語訳をもとにしました)>
・当日、彼女の目の前で起きた投身自殺。どれだけ衝撃だったか計り知れませんが、何かが落ちてきたけれど、それが自分が待ち合わせをした相手だとはまさか思わなかったと。そして、連絡の取れない相手の異変に気づき、目の前の救急車を追って事実を確認、すぐにゴシップ写真から彼を守ったそうです。遺体などの写真を撮られてばら撒かれないように。。それらがレスリーの嫌がることと知っているから。。レスリーが待ち合わせ場所に指定した場所に、思わぬ形でやってきたのは、彼女にそれをして欲しかったからなのでは、という意見も。。
・遺書は随分前から弁護士に預けられたもので、万が一に備えたもの。色んな遺書の存在が言われていたようですが、彼女いわく、この事前の1通と、当日親しい人間に向けた感謝の言葉のみだったとか。。
・恋人のダフィー氏は死後もつきまとうマスコミに「今もまだ愛しているかと」聞かれ「今もまだ、ではない。ずっと愛している」と返答したが、ダフィー氏の若い愛人との三角関係などの噂がずっと続き、彼を苦しめていた。彼自身も彼をよく知る人たちも、別の愛人の存在を否定。
・彼の死後も8年間に渡り彼の部屋に住み続け、その愛犬Bingoの命尽きるまで共に過ごしたダフィー氏。
真実は明らかだと感じます。
さらにマネージャー氏は自死原因はうつ病であったとしつつ「レスリーのうつ病を誘発したのは、彼のコンサートに対する香港マスコミの扱いの酷さ」と訴えていました。練り上げられた内容の濃いショーにも関わらず、衣装や彼への嘲笑がひどく、それが引き金になったと。。
ジャンポールゴルチエの中性的な派手な衣装にロン毛。今見ると別に違和感ないですが、当時は不評だったのでしょうか?
普通にかっこいい、と思えるけど。。。
さらにシースルー?とか、下着?みたいなセクシーで際どい格好が目立ち、そこを中心に取り上げられ、真っ当な評価がなかったたらしい。。です。(際どいので写真は自粛します)。歌の内容などは素晴らしく、完成度の高いコンサートだったそうです。
レスリーはウォン・カーウァイ氏の「欲望の翼」と「ブエノスアイレス」で役者として世界的に有名に。(ウォン・カーウァイ氏、私は2046でキムタクを使ったことで記憶してました)
また監督は違いますが、「チャイニーズゴーストストーリーズ」や、「さらば、わが愛 覇王別姫」もめちゃ人気でしたよね。
海外では俳優イメージの彼ですが、香港では歌手としての活動がメインだったようです。それで色々悩んだのでしょうか。。ここから先はよくわからないです。
レスリーは偉大な俳優ながら、LGBTQの壁に怯むことなく堂々と挑んでいった勇敢な人でしたが、願うことなら、そんなセクシャリティを「カミングアウト」などせずにいられるような日が来るといいなぁと思います。
「好きな食べ物」の一つと同じくらいな扱いで済ませられるような、そんな感じで。。。
香港の至宝、美しく勇敢なレスリーチャンに敬意を込めて。