認知症の義母を2日間介護しました。
もともと仲は良かったので、一緒にいることは苦ではなく、楽しく過ごしました。


でも
2日だからできただけ。
もっと長かったら絶対無理です。
それでも、もう帰ってしまうのかと涙を流して惜しんでくれる。
そんな姿に胸が痛みました。
優しく抱きしめて、また来るからねと告げて帰途につきました。
何が辛かったかというと、自分自身との葛藤。
これが一番きつかった。


無力な人間を前にすると、人間って本性が出てくるものです。
義母といる間中、私は醜い自分自身の心と向き合わなくてはなりませんでした。
それが一番苦しいことでした。
同じことを何度も言うとか、奇妙な行動を繰り返すとか、そんなのはどうってことなかった。
私にとっては軽く流せること。
苦しかったのは、なんとか得をしたいと思う自分との戦いだった。
お財布の中のたくさんのお金は全て、私の思い通りに使えた。
お札を抜こうと思えば抜けたし、好きなものを買わせようとすればそれもたやすくできる。
恨まれることもなく、非難されることもない。
仮に何かしたところで、どうせすぐ全部忘れてしまうし、現実と妄想が入り混じった状態の人が何を言おうと
「そんなことありません。事実無根」
の一言で済んでしまう。
そんな状態の中で、清く正しくあろうとすることが、とても大変なことだった。
日常であれば、こんな葛藤を味わうことはまずない。
盗みをすることもないし、ずるいことも、ほぼ?してない。
割と忍耐強く、道徳心と倫理観に制御されて生きている人間のはずだった。
なのに相手が無力というだけで、人間はこんなにも汚い心になれるのかと、ぞっとした。
この財布を預かって、滞在中自分の欲しいものを好きなだけ買える。
この封筒の中のお札を何枚か抜いても、誰にも気づかれない。
黙って抜き取ってもいいし、罪悪感を軽くするために一言かけて抜き取るもよし。
何でもやりたい放題なのだ。
これだけ我慢強く、認知症患者と接して奉仕しているのだから、少しもらってもいいんじゃない??
恐ろしい自分の心に、何度も寒気がした。
抑えても抑えても、ぬくぬくと頭を持ち上げてくる欲望。
私は偽善者だ。
善意を装って、実は真っ黒な心をもってたんだ。


そんな自分と、ずっと戦い続けて2日間を過ごした。
お金が欲しい。。誰にも迷惑かけないんだから、2枚くらいいっか。いや1枚なら。。。
結局、私の欲望の塊は、ちょっと高級なケーキ2ピースで昇華され、ことなきを得ました。


義母と一緒に美味しく頂いて、なんとかしのぎ切れた。
甘いもの万歳!
しかし義理の母とはいえ、身内に対するこの体たらく。
これが赤の他人であったら、どうだっただろう。
ずるいことせずに、不正をせずに、正義をもった行動ができるだろうか?
介護という職は、本当はいったい誰がやるべきなんだろう。
普段、心清く過ごしている人でも、すごい魔との戦いになるんじゃないかなって思います。
介護職、できる人は天使。